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あの瞬間、歴史が生まれた

みやざき 空飛ぶ新玉ネギ物語

2018年3月30日

地の利生かし“旬”ブランド商品化



JA延岡の「空飛ぶ新玉ネギ」

JA延岡の「空飛ぶ新玉ネギ」

 「消費者へ少しでも早くおいしさを届けたい」との願いを込めたJA延岡(山本照弘組合長)の「空飛ぶ新玉ネギ」。玉ネギ部会(三雲治男部会長、127人)のうち50戸、6ヘクタールで栽培され、今年は60トンが新鮮さの証し“葉付き”のまま、ゆうパックで全国の各家庭に届けられるほか、東京や名古屋、県内の市場などに出荷されている。2002年には商品ブランド産地に認定された。

関係者の思いでブランド化 

 延岡市の一部では1945(昭和20)年ごろから水田の裏作として早出し玉ネギの栽培が始まった。冬場(12〜3月)の日照時間が日本一長いことに加え、土壌の良さが適し、他産地よりも1カ月ほど早く出荷できる利点があった。98年に同部会(64人)が発足。現在栽培しているのは食感が軟らかく、甘みが特徴の「トップゴールド」という品種である。

牧野哲郎さん

牧野哲郎さん

 元同JA営農指導員で部会の立ち上げに携わった牧野哲郎さん(63)によると、その当時、管内には特産品がなく、関係者は、じくじたる思いを抱えていた。そんな中、佐藤克敏組合長=故人=がブランド化を発案。「空飛ぶ」のネーミングは、陸送が主で飛行機を使って農産物を輸送する例が少なかったことや、同市出身の偉人で初の日本一周飛行を達成したパイロット後藤勇吉(1896〜1928年)に由来した、という。

知名度高まり注文殺到

 99年の販売開始当初から郵便局と提携し「ゆうパック」で出荷、全国の家庭にダイレクトで届けられる手段をとった。また、JAと生産者が一体となり、知事や市長らに贈呈式を計画、商品をPRして消費者への浸透とブランド確立に尽力。“全国区”となったのは東国原英夫知事の時。テレビや新聞などマスメディアで紹介されると県外の卸売業者からの電話が殺到。「朝から鳴りっぱなしで、回線がパンクした」と牧野さん。ゆうパックでは最大6000ケースを扱う一大人気商品となった。

 現在、「空飛ぶ新玉ネギ」を原料としたドレッシングやカレー、せんべいなどの加工商品も開発、販売。毎年、3月には消費者を招いての収穫祭、今年からは地元・旭化成の陸上、柔道部にも贈呈を始め、さらなるPR活動に力を入れている。

安定価格で人手や手間カバー

JA延岡玉ネギ部会 三雲治男部会長

JA延岡玉ネギ部会 三雲治男部会長

 新玉ネギ栽培の育苗から定植、収穫までは全て露地で行われるため天候に大きな影響を受ける。例年9月上旬に種をまき、翌月中旬には定植が始まるが、昨年はその大切な時期に台風が襲来。水に浸かって約3分の1の苗に被害が出た。また、作業に掛かる人手や手間を軽減するため同JAでは定植作業の機械化を進めてきたが、収穫時にはブランド商品の象徴、新鮮さの証しとして葉を残さないといけないため機械化が難しく、収穫後も皮をむく、きれいに洗う、葉先と根を切りサイズを整える作業があり、どうしても人手と手間が必要とされる。

 しかし、今年の初せりでも1玉600円と比較的価格は安定し、若い新規参入者も増えているという明るいニュースもあり、掛かる人手や手間をカバーするには充分な付加価値の高いブランド商品としての成長は続いている。

 三雲治男部会長(75)は「JAや関係機関とともに、自分たちで作り上げた誇りあるブランド。今後も『美味しくて微笑みほころぶ食材を!』を合言葉に全国の消費者に食べてもらいたい」と意欲を見せた。

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