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あの瞬間、歴史が生まれた

みやざきスイートピー物語(下)

2017年3月30日

品種改良盛ん 突然変異が主力に



都農町のスイートピー農家を紹介する1992年1月1日付宮崎日日新聞。手前が黒木潤一さん

都農町のスイートピー農家を紹介する1992年1月1日付宮崎日日新聞。手前が黒木潤一さん

 JAはまゆうと並ぶスイートピーの一大産地へと成長したのがJA尾鈴だった。現在、管内で29の主品種を栽培。産地オリジナル品種は約30を数える。

予定外の見学で心奪われる

 転機は1986(昭和61)年。尾鈴農協(当時)の施設野菜係長だった黒木潤一さん(67)=現JA宮崎経済連営農部・営農振興課技術主管=によると、当時の花き栽培は菊が中心で、収益性が低かった、という。黒木さんは鹿児島県で花きの視察に参加した後、予定外で日南市を訪問した。立ち寄ったハウスに足を踏み入れた瞬間、可憐できれいな花のスイートピーに心を奪われた。

 翌年、野菜農家6戸に呼び掛け、1ヘクタールで試作をスタート。黒木さんはJAはまゆうの資料や本などを参考に、手探りで栽培技術を指導した。当時の主力品種はピンクの花を付ける「ダイアナ」。しかし、種を確保できず「ミセスダグラスマッカーサー」「ホワイトジャイアント」を導入。大きな失敗もなく、収穫にこぎつけた。「手間が掛かるが、反収が500万円。いけると思った」。翌年から生産者数は10~15戸、作付面積は1・6から2・8ヘクタールと増え、92年の最盛期には35戸が栽培に取り組んだ。

国際コンテストで最優秀賞

蓑島さんの作業を見守る河野さん

蓑島さんの作業を見守る河野さん

 栽培が軌道に乗ると、気に入った品種の花粉を使って品種改良をする農家が現れ始めた。結果が出るまで最低5~6年、長ければ10年掛かると言われる中、試行錯誤と挑戦が続いた。

 川南町名貫、河野正敏さん(67)は92年から栽培を始めた。友人から勧められたが、初期投資が掛かると数年間、悩み続けた末に決断した。

 2年目のことだった。クリーム色の「ステラ」の種から1本だけピンクの花が咲いた。JA尾鈴の主力品種となる「ロイヤルチェリー」は、突然変異で誕生した。「白の中に1本だけピンクの花が際立っていた。うれしかった」と振り返る。ロイヤルチェリーの種を植えると翌年には「ロイヤルホワイト」のほか、15種類以上の花が咲いた。純白のロイヤルホワイトは2012年、ドイツのエッセンであった国際園芸見本市「IPMエッセン2012」品種コンテスト切り花部門で最優秀賞に輝く。これらの種は管内でしか流通せず、門外不出の財産となった。

 この後も、独自で品種改良を続け、12年の「レディ・アグネス」まで16品種が製品化された。JA尾鈴の昨年の生産額は約1億7700万円、生産量約508万本、作付面積は3・2ヘクタール。生産額は県全体の約三分の一を占めるまでの産地に成長した。

 河野さんは今も毎日、20アールのハウスで作業を続けている。昨年からは娘婿の蓑島邦洋さん(44)も加わった。蓑島さんは「まだ勉強中。できれば父のように品種改良にも挑戦してみたい」と意欲を見せる。バトンは次世代に託され、本県のスイートピーは進化を続ける。

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