まちに笑顔の花を咲かせたい―。都城市を拠点に活動する、南九州唯一のチンドン屋「宮崎花ふぶき一座」(宮田わかな座長)が、結成20年を迎えた。壁もあったが、宮田さん(52)は持ち前の負けん気と、周りに支えられながら地域に元気を吹き込んできた。コンクールで日本一になるほど打ち込んできたチンドン屋業だが「まだ道半ば」と宮田さん。20日には同市で記念公演を行う。
かねと太鼓のリズムに乗って派手な和服姿の数人が街を練り歩き、道行く人に軽快な口上で宣伝するチンドン屋。都農町出身の宮田さんは結婚を機に大阪に住んでいた1997年にその魅力に引かれた。夫の趣味に付き合い「同好会のような」一座に参加。異世界にも見えたが、一座が歩くと子どもから大人まで笑顔に。「人に元気を与える。これぞ天職」と確信した。
さらに「なにわや」という本格的な一座の親方と出会い、プロのチンドン屋の奥深さを知る。道を究めたいと、のめり込んだ。
子育てのため夫の故郷である都城市に移住してからも思いは冷めず、2003年に宮崎花ふぶき一座を立ち上げた。県内でチンドン屋は珍しく、好奇な目で見られることもあったが、メディアにも取り上げられ、イベント会場や講演会にも足を運ぶようになった。
宮田さんが尊敬する、太神楽師、豊来家玉之助さん(大阪府)からは芸人の心構えを学んだ。常に芸人であるため、稽古に加え、普段から着物を来て一本げたを履き、合気道や日本舞踊にも通った。「一日、一秒も無駄にできない。子どもの参観日にも一本げたで行った」という。そうしたかいもあり、19年5月に愛知県であった全国選抜コンクールで日本一に輝いた。
ずっと順風満帆だったわけではない。10年に県内で口蹄疫発生、11年東日本大震災、19年からの新型コロナウイルス拡大。イベントが次々と中止になった。
特にコロナの影響は複数年にわたった。宮田さんは「チンドン屋の原点は歩く宣伝。こんな時こそ一人でチラシ配りをして回ろう」と市内の店に声をかける。幸い花ふぶき一座はイベントごとに招集するため、ほかに芸人は抱えていない。日本一になっても満足してはいけないと自分を見つめ直す意味もあった。街中で人と触れ合い、笑顔を間近に見ることでチンドン屋の醍醐味(だいごみ)をあらためて感じた。かつて自分が魅了されたように。
そしてこの仕事を広く知ってほしいと願う中で新たな挑戦となるホールでの20周年記念公演を思い付く。企画から出演交渉、協賛金集めなどに奔走。家族や支援者、お客さんら多くの支えがあってここまで来た。「宮崎で芸をやってこられて感謝。皆の笑顔を見たい」と舞台に立つ心構えだ。
記念公演は20日午後2時24分から、都城市総合文化ホールで開き、福岡のチンドン屋、豊来家玉之助さんも出演。チケットは完売している。
「20年を人に例えればやっと成人。これから自立する気持ち」と宮田さん。新たな夢は「チームわかな」をつくり、チンドン屋がまちの当たり前の風景になるほど広めること。そのため、きょうも練り歩き笑顔の種をまく。
【写真】8月に都城市であった盆地まつりで、沿道に笑顔を振りまきながら練り歩く宮田わかなさん