高原町制施行80周年の年に快挙を成し遂げた。応援に駆け付けた多くの町民に囲まれ、優勝旗を手に「この時をずっと夢見ていた。やっと町民に恩返しができた」と古里への感謝を口にした。
第1回から監督を務める。4大会連続2位の壁を破るため、今回自らは一歩引き、選手の自主性に任せた。目標タイムは選手自身が設定。すると、個々に責任感が生まれ「漠然と優勝を目指すのではなく、自分がどんな走りをしたらいいかが見えてきた」。レース中盤に一度順位を3位に下げたが、慌てることなく優勝を勝ち取った。
高原町出身。兄と姉に影響され、高原中で本格的に陸上を始めた。高校卒業後に旭化成陸上部に籍を置いたが、「三流の自分には次元が違いすぎた」。一念発起して21歳の時、東農大に進学。1年の時には箱根駅伝で9区を走った。
理科の教員免許を取得後、県立高校の教員を経て、聖心ウルスラ学園高で女子陸上部の監督を11年間務めた。しかし、最高成績は県大会2位。自身の高校時代も含めて全国に届かず、「この時から万年2番が始まっていたのかな」と笑い飛ばす。
チームの3区を走った今西駿介は次男。一昨年、今西家の悲願だった都大路デビューを果たすと、昨年末は3区で22人抜きを演じて区間4位。小林高の5位に大きく貢献し、一気に全国トップレベルの高校生ランナーに。「誰に似たのか、あっさり父親を抜き去った」と、めきめき成長する息子の姿に目を細める52歳。現在は宮崎東高に勤務。同町蒲牟田。
(運動部・坂元穂高)