宮崎女子短期大(現・宮崎学園短期大)に着任したのは29歳の時。33年目の今年、生え抜きとしては初の学長に就いた(4月1日付)。「長い付き合いの教職員仲間と共に、教育改革を成し遂げたい」と意気込む。
助教授だった1998年、学内の「FD(教員の資質向上など)推進委員会」委員長に抜てき。教員相互の授業参観や学生による授業評価を取り入れ、全学的に教育内容の改善を図った。「当時、自分も含め教員が教育より研究に重きを置いていた。その流れを変えたかった」と熱く語る。
学生重視の方針は今もぶれない。まず教職員に求めたのは、新入生の顔と名前を覚えること。学生に安心感を抱いてもらうのが狙いで「学生を受け入れることで心に届く教育、生活面の支援が可能になる。学生にも、相手への礼節を重んじることが人間関係を築く上で重要と知ってほしい」と話す。
学生数は保育科と現代ビジネス科の572人。9割が県内出身者で、ほとんどが地元に就職する。東京一極集中が進む中、「地方創生の中核を担う人材づくりに努める」と意欲。アクティブ・ラーニング(能動的学習)の推進など、さらなる教育改革を行う方針だ。
名古屋市出身。上智大大学院で教育哲学を学んだ後、宮崎女子短期大に採用され本県へ。研究や教育改革など、いずれも情熱を持って取り組んできた。「幸せな人生を営む鍵は、人の役に立つ仕事をすることに喜びを感じられること」と笑う。
宮崎市下北方町で妻と2人暮らし。61歳。
(報道部・菅野健太)