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宮崎地方気象台長に着任した 舟崎 淳(ふなさきじゅん)さん

2013年10月30日
 初めての来県は2011年1月29日。当時の防災担当大臣に随行し、本格的噴火から3日後の新燃岳に急行した。「大臣への説明中に目の前で噴煙が上がり、福岡管区気象台に携帯電話で規模を問い合わせて-」。未曽有の大災害を語る時も、口調はあくまで静かだ。

 1日付で宮崎地方気象台長に着任した。前職は気象庁地震火山部の火山対策官。「県、市町村、県民と直接接し、気象災害から守るために365日昼夜を問わず頑張りたい」と微笑を浮かべる。

 富山市出身で「日本一の豪雪地帯」と聞いて育った。実家の近くに気象台があり、気象への興味は、生活の中で実感とともに醸成されていった。

 1977(昭和52)年に気象大学校に入学、81(同56)年から北海道の根室測候所や福岡管区気象台などに勤務。本庁地震火山部が長く、火山噴火後や地震発生後の現地調査の経験が豊富だ。

 86年の伊豆大島(東京都)噴火では、全島避難直後に現地入り。90年からの雲仙普賢岳(長崎県)噴火では、避難が長期化した。東日本大震災の翌日は福島県へ。「住民を火山から守ることと、元の生活をとり戻すことの難しさを経験した」 日課は早朝ジョギング。休日は「危機管理をしつつ、記紀を訪ねたい」。路上での見知らぬ小学生からのあいさつを「地域防災力につながるいい関係。日常の隣近所とのお付き合いを大切にしたい」と喜ぶ。「ワイン好きだったが、宮崎に来たからには焼酎好きの体にならねば」。宮崎市の官舎で妻と2人。55歳。(報道部・堀口佳菜子)

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