手塩にかけた選手たちの手で3度、宙に舞った。「子どもたちと一緒に成長できた。監督を引き受けて本当に良かった。最高の気分」と喜びをかみしめた。
2011年、当時の監督で延岡工高野球部時代の先輩に頼まれ、小学4年生以下の指導を開始。当初は軽い気持ちだったが、すぐに心を改めた。先輩は守備練習で選手がミスをしても声を荒らげず、捕球できるまでひたすらノックを続ける。「押しつけではなく、自分からうまくなりたいと思うまで待つ。指導の奥深さを知った」と振り返る。
1年後にレギュラーチームの監督に就任し、根気強く子どもたちと向き合ってきた。その成果を実感したのが決勝の七回裏の守備。1死満塁で6人のポジションを入れ替えたが、選手たちは動揺することなく守り、栄冠を手にした。「監督の意図を理解してくれる。ようやく“会話”ができるようになった」 延岡市土々呂出身。8歳の時に、父親が監督だったソフトボールチームでプレーを始めてから野球一筋。高校3年の夏は県大会で準決勝まで進んだが、終盤に逆転され、甲子園出場の夢を果たせなかった。だからこそ今も選手には繰り返し、「野球は最後まで何が起きるか分からない」と言い続けている。
エースの泰臣君(11)は長男。グラウンドでは監督と選手の関係を厳しく守る。それでも「今夜はじっくり話そうかな」と優しい父親の顔をのぞかせた。延岡市内で保険代理業を営み、門川町加草の自宅で妻、子ども3人と暮らす。41歳。
(運動部・坂元穂高)