「宮崎市は選手層が厚く勝つ自信はあった。でも取材があるなら、ひげをそってくればよかったな」。選手に囲まれての優勝インタビューに、照れ笑いを隠せなかった。
高校までは部活と無縁だったが、進学した宮崎大で駅伝にはまった。脚力には自信があり、「教員になったら役立つだろう」と陸上部に入部。そこで出会ったのが、現在も師と仰ぐ2学年先輩の外山方圀さん(小林高駅伝部元監督)だった。
選手心理を読み解き、硬軟使い分ける外山さんの指導に、「一度も怒られたことはなかったが、厳しさを感じた。自分のことを理解し、うまく伸ばしてくれた」という。そのおかげもあり、大学2年生から3年連続で九州一周駅伝に出場した。
卒業後は保健体育科教諭となり、高原畜産高(現・小林秀峰高)など5校で指導。先輩の教えを指導の原点に、「外山先輩に勝つ」を目指したが、県高校駅伝大会は2位を12度も経験。都大路には届かなかった。
「万年2位の悔しさは一生消えない。勝たなきゃ意味がない」。だからこそ、今大会前に選手たちに訴えた。「強い者が勝つんじゃない。勝った者が強い」 退職後も中高生を指導し、第1回大会から宮崎市の監督を務める。箱根駅伝、九州一周駅伝を走る教え子もおり、成長した姿を見るたびに、「自分の指導が間違っていなかったと思える瞬間。今でも、子どもたちに元気をもらっている」。元旦に72歳になったばかり。3人の子どもは独立し、生まれ育った宮崎市富吉で妻と2人暮らし。
(運動部・坂元穂高)