「何事も信じてやり続ければ、いつか実を結ぶ」が信条だ。筑波大では主砲として明治神宮野球大会初優勝に貢献し、指揮官としては宮崎西高を選抜大会初出場へ導いた。本県高校野球を引っ張る重責を担い「指導者、選手が野球に打ち込みやすい環境づくりをサポートしたい」と熱っぽく語る。
延岡市出身。小学1年からソフトボールを始めた。日向高野球部では、3番遊撃手だった2年時、夏の県大会4強に入った。
進学した筑波大は学生コーチが主体で、専門スタッフがいる私学との差をデータ収集や選手同士のミーティングで補っていた。4番サードで出た1987(昭和62)年の明治神宮大会では強豪に競り勝ち、国公立大初の日本一に。「勝負はグラウンドだけでは決まらない」と胸に刻んだ。
中学教諭となったが甲子園の夢を諦めきれず、通算5度目の採用試験を経て39歳で高校教諭になった。初任地は進学校の宮崎西高。短い練習時間をカバーしようと最多で年間150試合近く練習試合を組んだ。実戦で課題を見つけ、話し合う。大学時代を教訓に選手との対話や自主性を重視することでチームはまとまり2012年、夢舞台の切符をつかんだ。
4月から佐土原高に着任。新型コロナウイルス感染拡大で先行きは不透明。「夏の大会は3年生の集大成。何とかやらせてあげたい」。安全を最優先しつつ「選手を第一に考える」と今後を見据える。
宮崎市大塚町で妻、2男と暮らす。次男は前任の宮崎北高の野球部主将で「休みが合えば練習試合を見に行きたい」と父親の顔も。54歳。
【写真】ひと/県高野連新理事長/兒玉正剛さん