日本協会の会長となった、大学の先輩でもある森重隆氏(68)の後を受け、4月1日付で就任。日本協会の理事も務める。昨秋のワールドカップで日本代表が大躍進したことに「宮崎では約30年前から代表合宿を県協会関係者に支援してもらっている。代表が強くなれたのは自治体も含め宮崎の方々の地道な協力のおかげ」と感謝する。
宮崎市出身。父の転勤で移り住んだ延岡市・延岡高でラグビーを始めた。高校時代は無名だったが、進学した明治大で急成長。180センチの長身と俊足を生かして主力となり、4年時には同級生の松尾雄治氏らと大学日本一、日本選手権優勝を達成した。
卒業後は九州電力に入社。主にセンター(CTB)として1981年の全国社会人大会ベスト4に貢献した。引退後はラグビー部の副部長などを経て、2018年からは九州協会の理事長。本業では04年に九電工へ移り、上席執行役員東京支社長などを経て、15年からリース業を手掛けるキューコーリース(福岡市)の社長を務める。
九州のラグビースクールに所属する小中学生は10年前から約1500人増えたが、中学高校の部活動は逆に約1600人減。子供たちに長く競技を続けてもらえるよう取り組むのが協会の大きな課題だ。新型コロナウイルス対策については「新たな環境の中で活動していくための指針を国際統括団体や日本協会が現在まとめている。それに基づいた練習や指導方法の徹底を図る」。
39歳で初参加した博多祇園山笠も生きがいの一つで「70歳まで山笠を舁(か)き続けたい」。福岡市在住。66歳。
【写真】九州ラグビー協会の久木元孝行会長