スポーツに打ち込む学生らが県内で就職できるように、企業と結び付ける役割を本年度から担う。「若い人を定着させるお手伝いをしたい。大変な仕事で『よく受けたな』と思うが、使命感の方が強い」と意気込む。
本県で2026年に開催予定の国民スポーツ大会(国スポ、国体から23年に改称)に向け、競技力強化を図る狙い。企業回りを今後本格化させ、トップ選手を雇用する利点をアピールする。前向きで仕事の面でも活躍が期待でき、採用が地域貢献につながることや、社を挙げて応援することで一体感が生まれることなどを伝えていく。
宮崎国スポが近づけば関心も高まると期待する。「ハートを揺さぶれば何とかなりそうな会社は何社かある。(採用数は)24年ぐらいにマックス(最多)になれば」。大会後も定期的に採用が続く環境づくりを目指す。
会社訪問はお手の物だ。2年前まで3年間、高校生の就職をあっせんする就労支援エリアコーディネーターを務めた。昨年度で閉校になった西都商業高を拠点に児湯、日向地区の高校を担当し数百社を回った。
「人と接するのが好き」という。もともと宮崎沖電気(当時)の技術職。工場火災後、復旧のためゼネコン関係者と協議を重ねた。退社後は宮崎市・高岡町商工会事務局長として地元のため働いた。今回も人事担当者とじっくり関係をつくる考えだ。
宮崎沖電気時代はバスケットボールチームをつくり監督を務め、当時のメンバーと年1回旧交を温めている。子3人は独立し、宮崎市高岡町花見に妻(66)と暮らす。69歳。