「農業を強く、稼げる産業にしよう」。JA全国青年大会「青年の主張」(2月、東京)で、1500人を前に熱弁を振るい、最優秀賞をたぐり寄せた。「自分の思いを聞いてほしい一心だったので、緊張より感謝の気持ちでいっぱいだった」と振り返る。
10歳のとき、和牛繁殖とキュウリ農家だった父が脳梗塞で倒れた。農作業と家事に奔走する母を見て育ち、キュウリの選果作業など手伝いを欠かさなかった。宮崎農業高、県立農業大学校と進学し、20歳で家業を継いだ。
経営が厳しく、就農後5年間は農業と飲食店のアルバイトを掛け持ちする日々。「農業はもっと稼げて夢のある産業になる」と専門書を読みあさり、栽培技術や農業経営を学んだ。29歳で農業生産法人を設立し、現在はスタッフ9人と一緒にキュウリを作る。
転機は2011年6月、施設園芸大国オランダへの視察訪問だった。人間の都合に合わせた栽培法ではなく作物の育つ力を生かした農業が行われ、さらに1農家当たり最低10億円を売り上げるほど経営力のある農家を目の当たりにした。コンピューターを活用した同国の農業にもヒントを得て、13年夏に経営分析システム「栽(さい)くる」の開発に着手。今秋から試験運用を控える。
「口を開けば仕事の話」と妻照美さん(35)にあきれられるほどの仕事の虫。「農業は体力的にもきついが、意地でやっている。母の苦労を見て育ったから投げ出すわけにはいかない」と話す。宮崎市佐土原町下田島に妻、義母と暮らす。32歳。(報道部・西村公美)