副市長に就き、機会あるごとに若手職員に投げ掛ける言葉が二つある。「前例にとらわれないように」「仕事の目的を常に考えよう」。自身が県職員として大切にしてきた姿勢でもある。
大学時代を過ごした関西で宮崎の知名度の低さを痛感し、「故郷をPRしたい」と1992年に県庁入り。2000年の九州・沖縄サミット宮崎外相会合など主要事業に携わってきた。
仕事を見詰め直すきっかけとなったのが、06~08年の秘書広報課・報道担当。東国原英夫氏が知事を務めたタイミングだ。知事のテレビ出演などスケジュール調整に忙殺される日々の中、ふとわれに返った。「自分は県職員。今の状況を宮崎のために生かせないか」
以来、県外のテレビ番組には、県のPRを知事の出演条件として提示。東国原氏のトップセールスを陰で支えた。「テレビで地方をPRするにはお金がかかるのが一般的。ずうずうしい公務員だと思われていたかも」と笑って振り返る。
延岡市出身。これまで小林市と縁はなかったが、方言を使ったPR動画などユニークな取り組みに魅力を感じていたという。「そんなまちで仕事ができることが楽しみ。新型コロナウイルスで大変な今こそ、失敗を恐れず挑戦する職員を支えたい」と決意を語る。
大学、社会人でも野球を続けたスポーツマン。毎日のウオーキングと週末のランニングは「地元の方々とおいしくお酒を飲むため」。妻と大学生の次女、愛猫2匹を宮崎市の自宅に残しての単身赴任。51歳。