県障がい者スポーツ協会に勤務し6年目。「チャレンジドスポーツディレクター」という新たな肩書で、県内未普及の団体4競技を広める役割を担う。
障害者スポーツの別の呼び名「チャレンジド(挑戦する人の)スポーツ」のうち、4競技は知的障害者のサッカーや聴覚障害者のバレーボールなど。今夏から、県内各地で体験会を行う予定だ。2026年に本県で開催予定の全国障害者スポーツ大会に向けたチームづくりにつなげる側面もあるが、「大事なのはむしろその後」と言う。「地域にどう(障害者スポーツを)根付かせていけるかが大切」と熱っぽく語る。
中学教員として38年勤め、県中学校体育連盟で理事長も経験。15年に母校の新富町・富田中校長で退職後、同協会職員になった。障害者スポーツに携わるのは初めてだったが、選手の生き生きした様子を見て「改めてスポーツの持つ力を感じた」。大会で結果を出して自信を付けたことで、社会参加できるようになった子もいた。
富田中時代に野球を始め、高鍋高3年の夏は県で優勝。当時甲子園に行くには沖縄代表と1枠を争う必要があり、1点差で敗れた。ただ白球を追い続けて味わった喜びや悔しさは、その後の人生で苦難を乗り越える力になった。教員を志したのも経験を生かし子どもたちの「道しるべになりたい」と思ったからだ。65歳の現在も、還暦以上の軟式野球チームに所属。動画投稿サイト「ユーチューブ」でフォームを研究し「この年になって野球が面白くなってきた」。宮崎市内に妻、長女と暮らす。