変死体の死因や死亡推定時刻、事件性の有無を判断する検案医を30年以上務め、これまで410体の検視に従事した。その功績が認められ、警察庁長官から「警察協力章」を受けた。「犯罪の見逃しがあったら、ご遺体に失礼。命の尊厳に関わる」。74歳の今も、真摯(しんし)に職責と向き合う。
日向市出身で、父・文男さん=故人=も医師だった。患者を助け、皆から「ありがとう」と言われる。「くそまじめなおやじの背中を見て」、自然と同じ道に進んだ。
鹿児島大医学部を卒業後、同大学と旧宮崎医科大で9年間経験を積んだ。1983(昭和58)年、父が開業した和田病院に戻り、87(同62)年から院長。地域住民の健康を支える傍ら、「誰かがやらなきゃいけない」と検視に協力し始めた。
物言わぬ遺体をくまなく調べ、”声なき声”に耳を傾ける。自殺や孤独死、交通事故や労災による死者など向き合う遺体はさまざまだ。息子の無残な遺体を前に、取り乱す親の姿を見た時は「つらかった」と振り返る。
変死体が見つかれば真夜中でも呼び出される過酷さから、敬遠する医師も多い。長く続けてこられたのは「自分を育ててくれた地域のためにという思いが根本にある。ひたむきに捜査する若い刑事の姿にもほだされた」。
手術や救急で常に緊張を強いられる仕事を続けてきた分、「家では力を抜いている。ぼーっとするのが好き」。今年4月に内科医の娘婿に院長を託し、現在は病院を運営する誠和会理事長。日向市の自宅に現役医師の妻(72)と2人暮らし。