「僕らの仕事は、県民が安心安全に暮らせる社会を実現すること。そのために職員一丸となって能動的に事件処理に取り組む」。宮崎地検トップとして語る抱負は真っすぐで、職務への強い覚悟がにじむ。 兵庫県明石市出身。中央大法学部卒業後、旧司法試験に合格。1993年に東京地検検事となり、大阪地検交通部長、金融庁証券取引等監視委員会事務局市場監視総括官、最高検検事などを歴任した。 数多く手掛けた事件の中で特に心に残るのが、小学1年生の女の子が登校中に車にひかれ死亡した事件。容疑者の運転手は病気で意識を失ったと主張し、立件は難しい状況だったが、処罰を望む母親の強い意思をくみ、業務上過失致死罪での起訴にこぎ着けた。それでも、母親の無念を100パーセント晴らすことはできなかったと考えている。「事件を解決しても娘さんは帰ってこない。心の傷を負い人生が変わる被害者がいることを忘れず、一つ一つの事件に誠心誠意、真剣に向き合う」と誓った。 法曹三者の中で検事を志した理由は、司法修習生時代に感じた「検察のチームプレー」。仲間と必死に事件と向き合い、真相を目指す姿勢は「しんどい中、勝利を目指す部活動のよう」と引かれた。検事になってからもチームプレーを重視。中学時代に始めたサッカーを今も続けていることもあって「よく体育会糸といわれる」と笑う。 宮崎でもサッカーに情熱を燃やしつつ、「貪欲に県内を回り、宮崎ならではの体験もしたい」と目を輝かせた。56歳。宮崎市の官舎に単身赴任。
【写真】宮崎地検検事正に就いた 竹中理比古(たけなかよしひこ)さん