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フェニックスの景観再生を進める 杉本繁喜(すぎもと・しげき)さん

2020年11月15日
 県木のフェニックスから種を取り、自宅で4年近くかけて育てた苗木を県や宮崎市に寄贈し、同市の堀切峠の景観再生に取り組んでいる。観光宮崎のシンボル復活に向け、81歳の今も「まだまだ現役」と笑みを浮かべる。

 宮崎交通OB。2011年ごろ、堀切峠に並ぶフェニックスの一部の立ち枯れに気付いた。同所のフェニックスは、宮交創業者の故岩切章太郎さんの発案で1936(昭和11)年から植栽され、南国情緒漂う景観で観光客を魅了。観光宮崎の象徴の”老い”に寂しさを感じ「景観をよみがえらせる」と誓った。

 2013年、有志7人で「フェニックスの苗木を贈る会」を発足、代表に就いた。堀切峠の写真入り額縁の販売で資金をため、県外から苗木15本を購入。県に贈り、堀切峠に一部植えられたが、「宮崎のフェニックスの遺伝子を継承したい」との思いがわき上がった。14年に堀切峠や県庁本館前で落ちた実を拾い、100個以上の種から栽培。多くは根を張らず失敗したが、諦めず28本の苗木を育てた。自治体のほか観光施設にも寄贈し、「これで”子孫”を残せる」と安堵(あんど)する。活動が評価され、同会は10月、県都市緑化功労者知事表彰を受賞した。

 今年は新たな試みとして、堀切峠で種から育て始めた。多い時期は2日に1回、車で通って水を与え、観察を続ける。「育てる楽しさが勝り、苦労は感じない」

 フェニックスを見上げ「私もこんな勢いのある人間になろう」と活力をもらう日々が続く。同市で妻(79)と暮らす。

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