視覚障害があるランナーの伴走を続け約30年。障害者の社会参加や自立に寄与したとして、本年度の県障がい者スポーツ賞功労賞を受けた。「走ることを一緒に楽しんでいるだけ。僕でいいの、と思った」と、恐縮しながら受賞を喜ぶ。
トライアスロンに励んでいた40代のころ、知人に誘われたのがきっかけ。練習会に参加するうち、走り終わった後に伴走相手が見せる笑顔にやりがいを感じ、のめり込んでいった。「無事に完走してもらえると、こちらもうれしくて。その上自己ベストが出たりしたら喜びはさらに大きい」
1992年に青島太平洋マラソンと併せて開かれた第1回世界盲人マラソン宮崎大会(現・視覚障害者マラソン宮崎大会)を皮切りに、数々のレースを経験。96年に設立された宮崎伴走者協会では2009年から8年間、会長も務めた。より伴走相手の立場に立ってサポートしたいと、ガイドヘルパーの資格も取得。コロナ禍で今は会として練習会は開かれていないが毎週末、パートナーと走っている。
30歳でガス設備会社を立ち上げて多忙を極め「このままでは壊れる」と気分転換に走り始めた。「とことんやる性格」で、50歳を過ぎてもフルマラソンでサブ3(3時間切り)をマークした。
72歳の今も月間走行距離は200キロ。陸上大会の審判を務め、東日本大震災や熊本地震の被災地へボランティアに赴くなどバイタリティーは衰え知らず。「伴走もボランティアも続けてこられたことが一番の誇り」。宮崎市小松台に妻と2人暮らし。