「先生は帰れるからええな。僕は帰るとこない」。ある少年の言葉が胸に刺さった。理事長に就任した1996年当時、園の職員は通勤制。「親の仕事は“勤務”ではない」と住み込みで少人数のケアを始めた。十次が掲げた「家族主義」に通じる取り組みだ。
両親は広島県で児童自立支援施設に住み込んで勤務した。自身も「施設のお兄ちゃん、お姉ちゃんに育てられた」と振り返る。広島大卒業後に岡山県へ。十次の岡山孤児院と並ぶ歴史の古い児童自立支援施設に30年勤め、定年後に現施設の理事長となった。
十次を若い頃から尊敬しており、約40年前から、その理念を今に受け継ぐ木城町の児童養護施設・石井記念友愛園にたびたび訪問。「勉強や資格が先ではなく、十次のように子どものため燃えるような情熱を持って、福祉に飛び込んでほしい」と毎年のように若い職員を連れてくる。
十次の生涯を描いた2004年製作の映画「石井のおとうさんありがとう」の上映、製作に協力するため、実行委員としても奔走。十次が孤児救済の一歩を踏み出した原点の地・岡山からの受賞は初で、「夢のように光栄」と笑みを見せる。
愛情飢餓の世代間連鎖を憂う。「0~2歳のころに親の愛情を受けていないと、自分が愛情に飢え、離婚や再婚を繰り返しやすい。その子どもが愛情を受けられずに成長する」と説く。引退も頭にあるが、「もう少しだけ」と家族愛に満ちた福祉を追い求める。岡山市中区に妻由希子さんと2人暮らし。78歳。
(高鍋支局長・野辺忠幸)