福島労働局(福島市)総務部長だった2011年3月11日に東日本大震災が発生。翌日には同労働局独自で避難所に「よろず相談所」を設置、雇用保険や労災について紹介するチラシを配布するなど「被災者の当面の不安を解消するため」奔走した。「情報を伝えるには紙が有効」といった現地の実情も積極的に厚生労働省に伝えた。
人事は凍結され、12年8月まで復興対策を担当。「目の前の人を幸せにするための対応を」「前例を踏まえつつも踏襲はせず、新しいことに挑戦するべきだ」。震災で得た教訓はそのまま部下に求める姿勢となっている。
「アベノミクスで東京は好景気になり、雇用対策は成長産業への支援に移行している」。だが、地方に効果が波及するには時間がかかることから「本県では従来的な雇用調整型の対策も続けていきたい」という。
若者の就職は「内定率を上げるという観点ではなく、定着支援に力点を置く。定着が図られれば人材が地元にとどまる」とし、既に、県と支援上の協力を検討している。
「機会があれば被災地の経験を県民に伝えたい」とも意気込む。
高知県とともに「踏み入れたことのない都道府県」という本県は「穏やかな県民性が好印象。日南海岸をドライブし、かつて新婚旅行ブームとなった理由を探りたい」。趣味は高性能オーディオで70年代ロックやジャズを聴くこと。また高校時代、教諭に勧められた黒沢明監督の映画「生きる」を年1回鑑賞する。宮崎市の官舎に1人暮らし。山形市出身の55歳。
(報道部・矢野太輝)