宮崎大学時代、心身を鍛えるため「空手漬け」の毎日を送った。平和台公園の石段を往復したり、当時キャンパスのあった宮崎市船塚から青島神社まで素足で走ったり…。つらい記憶ばかり。それでも「乗り越えられない試練はない。努力は成長につながる」。その教訓を、35年たった今も胸に刻んでいる。
この春、宮崎南高に着任し、公立、私立高校、特別支援学校の計68校が加盟する県高校体育連盟のトップに立った。「高校生アスリートの活躍は県民を元気にする。頑張る選手たちの背中を精いっぱい押してあげたい」。穏やかな表情を一変させ、強い使命感をにじませる。
本年度、最も成功させたい事業は5月開幕の県高校総体。本庄高に在籍した昨年、新型コロナウイルスに大会を奪われ落ち込む3年生の姿に胸が痛んだ。「本当につらい思いをさせた」と当時を思い起こし、「今年こそは開催したい。安心して日頃の練習の成果を発揮できるように環境を整えることが自分の役目」と気持ちを引き締める。
延岡市出身。1986(昭和61)年に英語教諭として採用され、宮崎西高と延岡高で空手部の顧問を受け持った。県大会で教え子が優勝した瞬間が忘れられないといい「立場は変わったけど、あの感動の場面を再び味わいたい」。
休日の楽しみは、新品の自転車でサイクリング。小学3年と5年の息子と、青島や一ツ葉など景色のいいコースを巡る。宮崎市希望ケ丘に3人暮らし。妻は東京に単身赴任中。58歳。