宮崎医科大医学部(現・宮崎大医学部)に入学してから今年で40年。出身大学の病院長就任を打診された際「まさか自分が」と耳を疑ったが、宮崎に貢献したいと、二つ返事で引き受けた。
長崎県佐世保市出身。関西の大学を卒業するころ、全国的に公害病が社会問題化。「問題に向き合い、最後まで責任をとれるのは医師だ」と考え、いったん就職した製造業を退職し、1974年に同大学医学部に再入学した。95年、卒業生初の“生え抜き”教授になった経歴を持つ。
米国ハーバード大や京都大など国内外での勤務を経て、14年ぶりに宮崎に戻ってきた。研修医として県内に残る卒業生は少なくなり、へき地医療に携わる医師不足が深刻になった。「医師不足が全ての問題の根底にあり、大学病院として魅力的な研修の場をつくりたい」と力を込める。
京都大退官後に滋賀県余呉町のへき地医療に携わった経験から「地域貢献したいと考える年配の医師は少なくない」と指摘。「知識や技術の習得を目指す若い医師だけでなく、経験豊富な年配の医師を配置するなど人材を広く活用することも大切」と提言する。
専門は医療情報学。「検診結果などをリアルタイムに伝えられたら、患者にとっても医師にとっても最良」と、医療情報を患者らと共有する「はにわネット」の活用拡充にも意欲を燃やす。
趣味はピアノ演奏と温泉地巡り。「宮崎は各地に温泉があり、休日が楽しみ」と笑顔を見せる。宮崎市清武町木原の宿舎で単身赴任中。65歳。
(報道部・竹村麻実)