脳出血で右半身まひとなってから約9年。再起した片腕のギタリストは、東京2020パラリンピック閉会式の舞台に立った。「東京大会開催が決まった2013年からの夢だった」と喜びをかみしめる。
即興場面では、左手だけで弦をたたく独自の奏法で圧巻のパフォーマンスを繰り広げ、存在感を世界中にアピールした。「選手へのエールや自分に関わってくれた人々への感謝、自分と同じ病気の人にあきらめないでという思いを音に乗せた。今も興奮の真っただ中にいます」と笑う。
宮崎市出身で、本名は湯上輝彦。13歳でギターと出合い、福岡県の芸能事務所に認められ、東京に進出した。11年にバンドを結成。CDを発売後の全国ツアー中だった翌年、突然病に倒れた。右半身まひと知らされ絶望したが、音楽関係者や病院スタッフに励まされ、音楽の道を歩き続けることを決意。「片腕のギタリスト輝彦」として音楽活動を再開した。自身の体験を伝える講演も行い、各地から声が掛かる。
コロナ禍が続く中でのパラ閉会式に向け、感染予防対策にも細心の注意を払った。「出演者全員で本番を迎えられたことが幸せで、盲目のピアニストら障害がある共演者から生きる希望をもらった」。一方で、「日本は障害への意識がまだ薄い。パラ閉会式で出会った障害者アーティストたちと新たなエンターテインメントをつくり、楽しみながら病気や障害を知る機会につなげたい」とも。大役を終えまた一つ生まれた新たな夢を熱っぽく語る。東京都八王子市、45歳。