事務局のある宮崎南高に赴任し、4年ぶりに学校現場に復帰した。「元気なあいさつや放課後に聞こえる部活動生の声。活気あふれる生徒に刺激を受ける」と話す表情に自然と笑みが広がる。
中学、高校の保健体育科教員を経て、3月まで県体育協会に在籍。26代目理事長として「まず現場の声を大事にしたい。生徒や指導者が活動しやすい環境を目指す」。現場と事務方の両面を経験してきた強みを生かす。
宮崎市出身の47歳。5歳で剣道を始め、中学卒業後は高鍋高で下宿生活を送った。「打倒・高千穂高」を胸に厳しい練習に耐え、3年生の県総体で団体優勝。全国でも3位に入る快進撃の立役者となった。一般入試で入った強豪・筑波大ではレギュラーを勝ち取り団体日本一。「コツコツと努力しかできない不器用な性格なんです」と照れ笑いを浮かべる。
初任地の門川中が原点だ。当時は「新車が3日後にはボコボコになる」ほど荒れていた。それまで上下関係が厳しい体育会一筋の人生だったが、「子どもにもプライドがある。相手を理解することが必要だった」と改めた。生徒一人一人と向き合い、心の内に耳を傾け続けた。教え子とは今でも連絡を取り合うほど信頼関係を築けたという。
山形県出身の妻崇子さん(48)は大学時代の同級生。「盆地の雰囲気が山形に似ている」と14年前、都城市に家を建てた。車で約1時間半の通勤時間も「頭の中を整理するにはちょうど良い」。24日に県総体の開幕を控え「最高の舞台を整えたい」と気を引き締めた。(運動部・坂元穂高)