「宮日旗は真の県一を決める大会。ずっと目標にしてきた」。初優勝の瞬間、天を仰ぎ、しばらく動けなかった。チーム発足時から12年にわたる指導が実り、「涙をこらえるのに必死だった」と感慨に浸る。
諸塚村出身。小学3年でソフトボールを始めた。中学野球で右肘を痛め、日向高では続けられなかった。
長男が野球に興味を持ったため、同年代の子どもを持つ草野球仲間と2010年にチームを設立。監督が見つからず、渋々引き受けた。2年目、初の対外試合は7―54の大敗。「選手がかわいそう。自分が頑張らなきゃいかん」。より一層、指導に情熱を傾け、勝つ方法を模索した。
「足にスランプはない」と考え、リードの取り方など、走塁を強化。砂浜の走り込みで足腰を鍛え、15年から3年連続宮日旗3位の強豪に成長した。整列や道具並べなど規律に厳しい指導も保護者に評価され、部員48人の大所帯チームになった。
「試合中の指示は次の塁を狙えぐらい」。伸び伸び野球がモットーだ。犠打の練習はするものの、試合ではほとんど打たせている。「高校で活躍してほしい。小学から勝ちにこだわって、小さくまとまらせたくない」
宮崎市で旅行会社とバッティングセンターを経営。忙しい中、時間をつくって週3回の練習に顔を出す。選手の成長が楽しみといい「高校野球をできなかった分、今頑張れているのかな」としみじみ。今後も監督を続ける予定で、教え子が甲子園でプレーする日を心待ちにする。同市に妻、次女と3人暮らし。56歳。