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宮崎大学長に就任した 鮫島浩(さめしま・ひろし)さん

2021年11月12日
 「一番弱い存在である赤ちゃんを助ける仕事を」。鹿児島大医学部時代に産婦人科医の道を選んだ時に抱いた思いは今も色あせていない。地元の鹿児島市を離れて宮崎の周産期医療を支える原動力にもなった。

 高校時代は物理や数学が好きで、医師か宇宙飛行士を夢見ていた。医師を目指したのは「人の役に立ちたい」という思いがあったから。同大学卒業後、同市立病院に勤務した。そこで師事した池ノ上克氏=前宮崎大学長=に「宮崎医科大(現宮崎大医学部)を活性化させてほしい」と依頼され、1995年に同大学の講師に就任した。当時の本県は周産期死亡率が全国ワーストとなるなど「大学を含め県全体で周産期医療が弱かった」。現場に立ち、死亡例の研究、医師や助産師との情報共有などを積み重ね、医療態勢の改善を図った。

 10年前に産婦人科教授に就任した。新型コロナ禍の中での学長就任。遠隔授業などのシステムは整備されたが、「学生として大切な時間は、いろんな事を友人と一緒に楽しむこと」と感じている。応援歌やシンボルマークの作成など「愛学心が芽生えるような取り組みも考えたい」と意気込む。

 地域の大学として企業や行政との連携も欠かせない。産業振興や災害対応へ専門的な知見を提供し、人材育成にも力を入れる。宮崎で学ぶ意義を小中学校で説いてもらうことも大切だと考えている。

 約40年務めた産婦人科医は昼夜関係なく呼び出されるため、「ゴルフも約20年前に辞めた」と趣味はなし。宮崎市内で妻、3匹の猫と暮らす。64歳。

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