6年前、自身も小学時代に指導を受けた故・渡邊良一さんから監督を引き継いだ。なかなか結果が出せず「渡邊さんなら勝てたのに」などと陰口をたたかれ、悔しい思いを味わった時期もあった。「いつかナベさんを超える」という誓いを胸にチームを鍛え、つかんだ栄冠。「宮日杯はナベさんが取っていない。天国で褒めてくれているかな」
小学時代から野球に没頭し、プロを目指していたが、その思いはかなわなかった。「夢を追いかけた方が良かったのかなという未練があった」。成人後に中学硬式野球チームのコーチなどを経て、恩師から頼まれ監督に就任した。
指導法は熱血そのもの。練習中に苦しそうな選手を見れば「苦しい時は伸びている証拠」と鼓舞する。「本気で練習するからこそ学べる、達成感や『本当の競技の楽しさ』を知ってほしい。勝つことの楽しさも、勝たないと分からない」。決勝でベンチを含め一丸となって勝利に向かう姿に、理想のチーム像が重なって見えた。
障害福祉に携わる会社を経営し、リハビリやトレーニングなどの知識も豊富。体の構造に基づいた投打のフォーム指導など、けがしない体づくりに取り組む。予選から全7試合を戦い、選手たちはなおも快活。悲願達成に一役買った。
エースの義矢君(12)は長男。グラウンドでは指導者として厳しく接してきたが、「実は家で褒めて、しっかりフォローしている」と父親の顔をのぞかせる。47歳。宮崎市佐土原町で家族5人と愛犬の「仁くん」と暮らす。