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半世紀前に高千穂鉄橋を架設した 溝口健二(みぞぐち・けんじ)さん

2022年2月21日
 「高千穂鉄橋の高さ105メートルは東洋一で、完成を地元の皆さんが喜んでくれた」。高千穂町が12日に開いた高千穂鉄橋シンポジウムに招かれ、川崎市から参加。オンラインで建設現場の責任者としての50年前の苦労や喜びを語った。

 日本大理工学部を卒業した1970年、日本鉄道建設公団に入社。同年8月、高千穂線を建設する下関支社日の影鉄道建設所に配属され、副所長として施工管理を任された。

 初の現場が山間へき地に長大な橋を架ける難工事。トレーラーが脆弱(ぜいじゃく)な旧国道を走れるのか、測量基準点や工法が正しいのか何度もチェックし、架設中の大地震に耐えうるか耐震実験もした。「大学を出たばかりの自分にとっては心配の山だった。だからこそ、72年に高千穂線が無事開業を迎えられた時は本当にうれしかった」

 台風被害を受けた同線は2008年に全線廃止に。「地元の陳情や協力でやっと開通したものが無用の長物になってしまうと、やるせない気分になった」と悔やんだ。

 時は過ぎ、現在は同鉄橋を走る観光用カートが人気に。町は稼げる観光施設に育てようと、鉄橋の歩廊化など鉄道公園化構想を掲げる。「観光資源として鉄橋が今も活躍していることはありがたい。適切に維持管理すれば100年、150年持つ」と目を細める。

 大出水で難工事を極めた上越新幹線中山トンネル工事も乗り越えてきた技術者として、「諦めなければ何とかなる」と公園化構想にエールを送る。今は仕事を離れ、趣味の登山を楽しむ。75歳。

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