熱血ラガーマンの元高校体育教諭が、72競技団体などを束ねる県スポーツ協会で大役を担う。2027年に本県で開催予定の国民スポーツ大会(宮崎国スポ)に向け、競技力向上などに全力を尽くす覚悟だ。「重責だが光栄。頑張っている指導者らの意見を聞き、よりよい環境をつくっていきたい。障害者スポーツの発展にも寄与できれば」と意気込む。
宮崎市出身。宮崎大宮高で登山部だったが3年でラグビーを始めると、「体がぶつかり合う激しさとスピード感」にのめり込み、バックスを担った。鹿児島大を卒業し教員となり、3高校で計17年間ラグビー部顧問を務めた。36歳で就任した高鍋高では10年間で花園に7度出場し、16強に2回入った。
人間力向上を掲げ指導に当たった。「勝つことで選手に自信を付けさせたい」と厳しい練習を課す一方、「なぜこの練習をするのか、気付くことが成長につながる」と教えすぎずに、ヒントを与えた。主将、副主将の意見を聞いてメンバー選考するなど、コミュニケーションを大切にし「一体感のあるチームづくり」を進めた。
延岡星雲高など3校の校長を務め、昨春に定年退職。「生徒だけでなくいろいろな職業の保護者らとも交流できて、いい教員人生だった。これから県や県民に恩返しをしたい」と5年後の宮崎国スポを見据える。
座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」。バイクのツーリングが趣味で「ふらっと何も考えずに出かける。気分転換になる」。宮崎市に同い年の妻郁子(ゆうこ)さんと暮らす。61歳。