厚生労働省関東信越厚生局長を最後に、34年間の国家公務員としてのキャリアを6月末で終えた。故郷の本県が公衆衛生医師を募集していることを知り、「年齢を重ね宮崎の歴史や文化に改めて触れて、ふるさとの役に立ちたいとの思いがあった」と手を挙げ、9月1日付で県福祉保健部参事に採用された。
求められる役割は、新型コロナウイルスを含む感染症予防を担う各保健所の支援、医師や看護師など医療人材の確保まで多岐にわたる。「現場に寄り添う姿勢で臨みたい」と意気込む。
椎葉村出身。宮崎市の宮崎西高に進学するまで過ごした村が台風14号で被害に見舞われた。「住民が協力して道路の復旧に当たっていることなどを聞き、地域のつながりが誇らしく頼もしい」と語る。
産業医科大を卒業後、1988(昭和63)年に旧厚生省に入省。熊本地震では担当課長として情報集約を担い、貯水機能の充実など災害拠点病院の指定要件改定につなげた。防衛省衛生監時には、多くのコロナ感染者が出たクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」乗客のPCR検査指揮、ワクチンの大規模接種センターの設置運営を担当し、「得られた知見を各自治体の集団接種につなげられた」と振り返る。
趣味は歴史小説の執筆。寺田屋事件に関わった黒田藩士らを祭る日向市細島湾内の県史跡「黒田の家臣」を題材に次作の構想を練る。宮崎市の大淀河畔で1人暮らし。「ピーマン、ナス、オクラ。野菜がどれもおいしい」と笑顔を見せる。59歳。