「県で優勝なんて夢のまた夢だった。今までの教え子や保護者の顔が浮かんできた」。チーム創設10年の節目につかんだ頂点。弱小扱いされ続けた苦境の時代を思い出し、決勝では試合終盤から涙をこらえきれなかった。
小中学時代は野球に打ち込んだ。就職した運送業のサークルでソフトボールを初体験し、スピード感に魅了された。2013年に児湯郡初のソフトボール少年団としてチームを設立し、コーチに就任。団員数はぎりぎりで、バット2本にボール30球と最低限の用具でスタートを切った。40点以上の大差で敗れることもあり、練習試合さえ組んでもらえない日々。「いつか見返してやる、何くそという思いだった」
県内の強豪に出向いては監督に頭を下げ、練習や指導法を一から勉強。17年に監督に就任し、結果が出ずとも「挑戦することに意味がある」「やり遂げることが大切」と子どもたちを鼓舞し、地道に力を伸ばした。
「技術より人間性の成長」。あいさつや口の利き方など礼儀を重んじ、守れない子は主力であろうとメンバーから外す。やる気のないプレーを見せた時には厳しく接するが、一貫した指導に選手からの信頼は厚く「親に打ち明けられない悩みを相談してくれる子もいる」。チームを巣立ったOBは今も練習に顔を出してくれる。
生まれ育った都農町川北に父と妻、チームOBの長男、OGの長女、現メンバーの次女と暮らす。「食卓を囲みながら全員でチームの打順を考えるなど、毎日が作戦会議みたいなもの」と照れ笑い。43歳。