サッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会の決勝を現地で観戦し、「純粋に試合を楽しみ、選手に感心する自分がいた」ことで引退を決めた。「悔いはない。いろいろな人との出会いが一番の財産」と17年の現役生活をすっきりとした表情で振り返る。
宮崎市出身の37歳。小学4年でサッカーを始め、生目台中2年時にブラジルへ短期留学した。人生を懸けて戦う選手たちのハングリー精神に衝撃を受け、「一気にスイッチが入った。自分もこの道で生きようと決めた」。鹿児島実業高などを経て2006年にJ1・FC東京へ。国内外7チームを渡り歩き、DFとして守備に加え攻撃につながるパスワークが評価されてきた。
08年の北京五輪で23歳以下代表に。本戦でメンバーから漏れたが「常に厳しい環境に飛び込み、結果に変えてきた。また結果を出すしかない」と奮起し、その後はA代表で21試合に出場。11年のアジア杯準々決勝は終了間際の逆転弾で優勝に貢献した。14年のW杯ブラジル大会でも代表入り。「上に行くには諦めずに努力し続けること」と自らに課してきた。
今後は、Jリーグチームと企業を橋渡しして商品開発などに関わる予定。2年前に、同郷でJ1鹿島アントラーズ時代のチームメート増田誓志さんらと「TEAM MIYAZAKI」を結成した。子どもたちを指導し「宮崎から一人でも多くのプロ、日本代表を輩出したい」と熱がこもる。
大阪府に家族4人暮らし。「宮崎で過ごしたのは中学まで。県内の観光地や温泉を家族で回りたい」と表情を緩めた。