英語教師を目指して愛媛県の松山大で学んでいた学生時代、日本を離れ海外に長期滞在していた。オーストラリア滞在中の1990年、イラクがクウェート侵攻。他国のバックパッカーと自国について議論した際、「国際的な事件や事案が起きたとき、自身を守ってくれるのは日本だけ」と再認識した。国防に関心が深まり、「国に役立つ仕事がしたい」と航空自衛隊への入隊を決めた。
山口市出身。基地司令としての着任は奈良、岐阜に続いて3カ所目となる。近年の本国周辺の国際情勢を「知りうる限り、戦後最も厳しく複雑」と強調し、「新田原基地は西・南西空域の『守りの要』で身が引き締まる」と語る。
昨年、政府が防衛力の抜本的強化を示す中、同基地ではF35B配備計画などが進み「配備計画に合わせて体制も整えないといけない重要な時期」と捉える。統率方針に掲げたのは「ワンチーム」。変化が求められる状況でも、伝統を継承しながら最善策を創造し、各部隊が一丸となり、前に進む部隊づくりを目指している。
2006年には統合幕僚監部の新設に関わり、陸海空3自衛隊の統合運用の知見を広めた。13年の防衛政策局時代は、インド国防大に留学。国際的協力の必要性などを身に付け「いずれも、現代の国防を語る上で欠かせない重要な学びだった」と振り返る。
趣味は毎週末のジョギング。本県の豊かな食で増えた体重を「走って戻さないと」と笑う。埼玉県朝霞市の自宅に家族を残し、単身赴任。空将補。52歳。