県庁などに42年間務め、18歳まで過ごしたえびの市に帰ってきた。変わらない山や川などの自然の恵みや、人の温かさをかみしめ、「古里に携わる幸せと責務を感じている」。
同市の真幸小・中を経て小林高へ。県外の大学在学時に同市職員だった父を亡くし、「苦労した母のためにも宮崎に戻ると決めていた」。1981(昭和56)年に県庁入り。秘書広報や東京事務所、議会事務局など幅広い分野で経験を重ねた。
2018年4月、思わぬ形で故郷の問題に直面する。硫黄山噴火の影響で河川の水質が悪化し、同市の一部地域で稲作ができなくなった。当時は環境森林部長。農家を思うと胸が痛み、「米どころ」の日常を取り戻そうと市と連携して対策の検討に着手。先行きが見えず試行錯誤の中で、後の水質改善施設整備につなげた。
県庁退職後に勤めた宮崎商工会議所では、コロナ禍で民間企業の突破力や柔軟性を目の当たりに。「行政ではできない経験に刺激された」と語る。専務理事だった昨秋、副市長就任の打診を受けた。「もう一度、地元と向き合いたい」。当時の仕事にやりがいを持っていたが、周囲に背中を押され腹を決めた。
就任は1日付。少子高齢化対策や産業政策など課題は多いが、県境に位置し、人や物、文化の交流拠点として市の可能性を感じている。「今取り組む施策がえびのの未来をつくる。市長の下で、職員と共に汗をかきたい」と意気込む。
趣味はカヌーやバイク。「この自然を満喫しない手はない」。同市の実家で妻と暮らす。64歳。