西都市職員として総務課長を最後に昨年3月、定年退職。再任用後は東米良支所長を務めて地域住民の信頼を集めたが、前副市長の任期途中での退任を受けて橋田和実市長から後任を打診され、受諾した。「一般職とは違った、求められる、果たすべき職責の重みを実感している」。言葉に力を込め普段は柔和な表情を引き締めた。
市ナンバー2として庁内そして市民との調整役などが期待される中、心にいつもあるのは「公平な目」「市民目線」の二つだ。「組織は人。人材育成が大切。他部署の職員同士が気軽に話せる、風通しのよい職場にしたい。縦割りではなく横の連携が強まれば職員も働きやすくなり、市民ニーズへの対応力も高まる」と訴える。
同市生まれ。寮や下宿で生活しながら宮崎市の日向学院中、宮崎大宮高を卒業したが事情により進学を断念。入庁後も勉学の志はついえず、仕事に追われながら5年間かけて法政大法学部を通信制で卒業した努力と信念の持ち主だ。
市職員として最も心に残る仕事の一つが、地域医療対策室で室長などとして取り組んだ西都児湯医療センター再建。当時、医師不足などで危機的状況にある中で「市民が安心して住めるように医療充実は絶対必要」と存続へ奔走した。ある後輩職員は「穏やかで親しみやすいが、芯があって物事をやり遂げる強さがある」と慕う。
「最近は趣味がなくて」と笑うが、大型バイクの運転免許を所有し「いつか、日本中を巡ってみたい」。同市三宅に妻えみ子さんと2人暮らし。61歳。