県職員時代の忘れられない仕事がある。耳川が増水し、諸塚村中心部に大きな被害が出た2005年の台風14号。原因となった河川の土砂対策に、河川課の担当リーダーとして当たった。ダムを管理する九州電力や内水面漁協などの合意形成に要したのは3年。「対話と連携」が仕事の進め方の基本となり、県土整備部長を務めた今でも当時の関係者とは「同窓会」を開く。
児玉宏紀前副市長=故人=の体調不良を受け、急きょ就任の打診を受けた。県土整備部長を経て、活気ある同市の副市長を約11年間務めた大先輩の後任だけに、代わりが務まるのか一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、「この年齢で新しい分野に挑戦できるわくわく感の方が勝った」と応じた。
1日に就任。4日にあった仕事始め式の幹部職員へのあいさつでも最初に挙げたのが「対話と連携」の重要性で、「都城志布志道路や新県陸上競技場などインフラは整いつつあり、これをどう活用するか。経済団体などと知恵を絞らねば」と呼びかけた。
「明るい性格」を自他共に認め、「どうせやるならみんなハッピーでないと長続きしない」が持論。「行政でも納期を決め、100点でなくてもまずはやってみるのが大事」と職員を鼓舞するつもりだ。
マラソンは「サブ4」を数回、ゴルフはスコア70台を出した経験があるスポーツマンで、今年3月の都城さくらマラソンにもエントリー。休日にはイカ釣りも楽しむ。妻、長女を宮崎市に残し単身赴任。長男は都城市在住。延岡市出身。61歳。