「一つ一つの事件と公正、誠実に向き合い職務を遂行する。検察の使命はそれに尽きる」。宮崎地検トップとしての抱負は明快かつシンプル。その積み重ねこそ、県民の安心と安全につながると確信する。
東京大法学部の在学中、司法試験への挑戦を始めたが「明確な志があったわけではなかった」と振り返る。
一方、合格後の司法修習で検察の実務に触れ、犯罪を立証する壁の高さを痛感した。「大変な仕事だが、チャレンジのしがいもある」と1995年に任官。東京地検検事を振り出しに、広島地検検事や神戸地検総務部長、札幌高検刑事部長などを歴任した。
事件の大小を問わず、真相解明と相応の処分実現に向け、真摯(しんし)な対応を常に心がけた。自分の作成した調書1枚で被害者、遺族、被告人の人生を左右しうる―。重大な責務を担うからこそ自戒してきた。
見習うべき人物に、将棋の藤井聡太八冠、野球の大谷翔平選手といずれも希代の才を持つ若手を挙げた。「ひたむきに一事と向き合い、まさに極めた。その姿勢は、我々の仕事もそうでないといけないと思わせてくれる」
宮崎への異動が決まった際、上司や同僚から「いい所だ」「うらやましい」と口々に言われた。着任後、自転車で市街地の道路を渡ろうとすると「すぐに車の方から止まってくれた」。温かい県民性を早速、実感した。
妻との旅行や城巡りが趣味。「日南市飫肥など風情ある城下町に足を運んでみたい」。山口県宇部市出身。宮崎市内の官舎に単身赴任。55歳。