1947(昭和22)年に結成した県遺族連合会で、10代目にして初の戦後生まれの会長となった。来年の戦後80年に向け、「戦争は苦しみ、恨みしか残らない。英霊顕彰や遺族の処遇改善、伝承はもちろん、平和学習活動に力を入れたい」と決意を新たにする。
自身は戦没者のおい。結成当初は戦没者の妻や遺児が中心だった組織は高齢化が進む。現会員約4500人のうち、約半数を占める遺児の平均年齢は80代半ば。ここ数年は毎年約500人が減少する現状に「組織の維持は喫緊の課題」と危機感を募らせる。遺族の孫やひ孫といった新たな世代の加入を進めるほか、広報や語り部活動などを通じて、遺族ではない人の賛同も得ていく考えだ。
生まれ育った都城市庄内町は今、のどかな風景が広がる。だが、79年前は戦場だった。終戦間際の45年8月6日、米軍機が襲来。旧日本軍の兵舎だった庄内小の旧校舎は焼失した。周辺の石塀には当時の弾痕が残る。
報道ではウクライナやイスラエルの戦況が連日伝えられ、日々積み上がる戦死者の数を憂う。「戦争は人命を奪う上、配偶者を亡くした人、遺児は戦後の長い間、大変な苦労を背負わされる。同じ過ちを繰り返してはいけない」
地域振興に力を入れる現職の都城市議。春の風物詩として定着した庄内川のこいのぼりは、荘内商工会青年部長だった約30年前、行政機関などに掛け合って現在の規模に復活させた。同市で妻と2人暮らし。もうすぐ1歳になる初孫の話題に目尻を下げる65歳。