総務省自治行政局長から事務次官に次ぐポストに就任。直後から週1、2回は福島、宮城、岩手の3県に出向き、多くの人から精力的に話を聞いている。「地域のコミュニティーにおいて人々が、助け合いながら生活する社会をどう取り戻すかが一番の課題。できることに常に向き合っていきたい」と語る。各省庁にまたがる業務や被災3県などの要望を調整するのが仕事。
東日本大震災発生から13年。地震・津波被災地域と原子力災害被災地域で復興が進む。「住宅や道路などハード面や被災者、生活支援は進んでいる」と振り返るが、多核種除去設備(ALPS)処理水放出に伴う海産物の風評被害や放射性物質の問題など日本全体や外交で克服しなければならない課題も残っており「原子力災害地域の復興は始まったばかり」との認識を示す。
「普通の暮らしが戻ることが大切。仕事の確保や除染を行うほか、震災の経験を他地域や後世に伝えなければならない」と力を込める。
父が教諭で、宮崎市で生まれ、小学校は国富町で過ごした。宮大付属中、宮崎西高を経て東大に進んだ。大学時代に体育会自転車部で全国を旅し「美しい風景を守りたい」と自治省(現総務省)へ入省。青森県や福岡県、大阪府など地方勤務経験も豊富。福岡県総務部長の際は、東日本大震災の救援物資を送る業務に携わった。「地方勤務で多くの人と出会った経験が今に生きている」と語る。
目黒区に宮崎市出身の妻と中学3年生の長男の3人暮らし。帰省して同級生と杯を重ねるのが楽しみ。58歳。