自衛官募集、広報や自治体との窓口業務を担う自衛隊宮崎地方協力本部の第6代本部長に着任した。前任地の山口県防府市・航空教育隊で副司令を務めた経験を踏まえ「入隊者は3カ月で自衛官として見違えるように成長する。不安を抱いている学生、保護者にも安心感を与えられるよう尽力したい」と意気込む。
近年、中国機の領空侵犯や北朝鮮のミサイル発射などで国防に対する意識の高まりを肌で感じるが、「危機的という認識は持っていない。県民の不安を拭うため、正しく丁寧な説明をしていきたい」と考える。
1984(昭和59)年に防衛大を卒業後、装備品の研究開発を行う飛行開発実験団(岐阜県各務原市)に所属、作戦情報隊作戦情報処理群(東京都福生市)司令などに就いた。印象深いのは2003年から防衛駐在官としてフランスに勤務した3年間。陸海空の自衛隊の統合運用、イラクへの人道復興支援活動が表明された時期で、欧米諸国との緊密化が進んだ。「外から日本を見る仕事ができたのは貴重だった」と振り返る。
本県の印象を「県民の自衛隊に対する温かい理解を感じる。大変ありがたい」と語る。音楽隊のステージや護衛艦の寄港イベントなど地域に根差した活動で県民との距離を縮めたいとしている。
東京都府中市に妻と次女を残し単身赴任。出身地の大田区にある旧多摩川グラウンドはかつて、本県でキャンプを張るプロ野球・巨人の2軍の練習拠点だった。「来年春のキャンプが楽しみ」という。1等空佐。52歳。
(報道部・松崎千穂)