「優勝候補」の殻を破った思いが目頭を熱くした。過去2度の決勝はいずれも敗れ、昨年は保護者の前で人目をはばからず泣いた。「子どもたちは、1年間で心も体も随分と大きくなった」。今年はうれし涙が止まらなかった。
指導16年目のチームで教えるのは「考える野球」。「指示を出せば、言う通りプレーしてくれる。だが、それは『やらされる野球』。子どもにとっては面白くないし、成長もない」と説く。
決勝は象徴的だった。2点リードの四回の守備で無死一、三塁のピンチを迎えた。監督はベンチの奥に座り、じっとしたまま。それでも選手は落ち着いてアウトを重ねる。この回を1点でしのぐと、真っ先にベンチを飛び出し、笑顔で出迎えた。
仕事は小学校教諭。初任地の小林南小で少年団の監督を任されて以来32年間、教壇に立ちながら指導を続ける。今年4月からは高千穂町に単身赴任。上野小中学校で教頭を務め、週末は自宅のある三股町に帰り、欠かさずグラウンドに足を運ぶ。「高千穂の自然と人の優しさが、疲れを癒やしてくれる」と多忙の日々も苦にならない。
「野球ばか」を自認するほど、休日にくつろいだ記憶はほとんどない。「何よりも野球を優先してきた。妻の理解があってこその毎日」と、妻みどりさん(54)への感謝を忘れない。長女と長男はすでに独立し、今では中学2年の次女が「元気の源」だ。「40歳を過ぎてできた娘だから、かわいくて仕方ない」と父親の素顔をのぞかせる54歳。三股町樺山。
(運動部・坂元穂高)