脳障害のある姉との生活が自分自身の障害者に対する意識を変え、将来の夢も与えてくれた-。作文には障害があるからといって悲しいこともつらいこともないと熱い思いをつづった。「姉との当たり前の生活を書いただけだが、自分の思いが評価されてとてもうれしい」と笑顔で語る。
小学時代は周囲の目が気になり、姉と出掛けるのが恥ずかしいこともあった。そんな意識を変えてくれたのは母の言葉だった。「障害に慣れていない人はびっくりするだけ。あなたは堂々としていればいい」 私が落ち込んでいるときは笑顔を見せて、励ましてくれる大好きな姉。「姉が小さい時には発作で緊急搬送されることがあった。その時に、適切に姉の処置をしてくれる医者の姿を見て、自分も同じように姉を助けたいと思うようになった」 将来は宮崎大医学部に入学し、健常者も障害者も関係なく診療できる医者を目指している。尊敬しているのは、2000年に県内で発生した口蹄疫の早期発見に貢献した、祖父で獣医師の舛田利弘さん。「じいちゃんのように社会にも貢献できる医者になりたい」と意気込む。
現在、宮崎西高付属中1年。硬式テニス部に所属し、週に4、5回は約1時間の練習をこなす。医者になるには英語が必須と考え、毎日の勉強も欠かさない。「勉強をしていても小さい時からの習慣で、午後10時には眠くなってしまうのが悩み」と笑顔で話す。宮崎市高岡町で暮らす、13歳。(報道部・横山侑季)