通算30度目の入賞は、序盤の39位から劇的な追い上げで成し遂げた。「これが伝統校の力。駄目だと思う瞬間もあったが、最後まで諦めなかった選手たちは素晴らしい。みんなに感謝したい」。レース後、握手を交わす時には、感情が抑えきれなくなっていた。
生まれも育ちも小林市の47歳。小林高駅伝部に入り、2、3年の時には都大路の3区を任され、2年連続入賞に貢献した。大学の名門・順天堂大でも陸上を続けながら保健体育の教員免許を取得。4年間の臨時講師、支援学校教員を経て1996年に母校に赴任した。
駅伝部を率いて19年目。「やっと指導者の入口に立てた」と言う。就任当初は苦難の連続だった。1年目は全国33位、翌年は県大会で敗れる悔しさも味わった。それでも試行錯誤を続け、2年前に12年ぶりの入賞。それ以降、連続して順位を上げ「駅伝ができるチームができてきた」と手応えを口にする。
“一方通行”の指導を嫌う。若い時は、勝ちたいがあまりに選手たちにハードな練習を課してきた。しかし「目先のことしか考えていなかった」。選手と真摯(しんし)に向き合い、自主性を重んじるようになった。中長期的な視点で育成する成果が、3年連続入賞という形で表れた。
「力のなかった選手を強くすることはできるようになった。次は強い選手をいかに強くするか」。新たな課題を克服したその先には、1978(昭和53)年以来の全国制覇が待っているはずだ。小林市真方に妻、中学3年の次女と3人暮らし。
(運動部・坂元穂高)