高校での指導経験はないが、全国優勝7度を誇る名門チームの監督に就任した。「どんな道を選んでも大変なことに変わりない。ならば残りの人生を懸け、地元で日本一を目指したくなった」と強い覚悟を口にした。
日南市の吾田中でバスケットボールを始め、指導者を志し、鹿児島大へ進学。1992年に同県の中学校教諭になった。全日本女子を率いた中村和雄氏(現bjリーグ秋田監督)ら著名な監督の元を積極的に訪ねて指導力を磨き、2009年に清水中で全国中学大会準優勝を果たした。
延岡学園高の付属中学、尚学館と何度も対戦した縁で、同高の教頭も務める佐々木博之監督と親しくなり、白羽の矢が立った。佐々木監督は「バスケへの情熱にあふれた指導者。基本プレーのしっかりできるチームをつくる」と信頼を寄せる。
選手としても鹿児島教員クラブで03年の全日本選手権に出場。「地方のチームでも、やり方次第で全国の強豪と戦える」との気概を持ち、コート上では選手に一つ一つの細かな動きまで、なぜ必要なのか考えさせる。「自分で気付き、苦労して身につけたプレーこそ本物」。自主性の尊重が子どもの将来の成長に役立つと信じる。
鹿児島に中学校教諭の妻亜矢子さん(44)を残し、新潟県の中学にバスケット留学していた長男(14)を呼び寄せて延岡市大峡町に2人暮らし。数年後には親子で日本一を目指すことになりそう。趣味は近年覚えたサーフィン。ただ「バスケずくめでできるかどうか」と笑った。44歳。(運動部・高橋正一郎)