県内約500人の視覚障害者が加入する県視覚障害者福祉協会で6年間副理事長を務め、本年度から12代目理事長。「皆さんに教わりながら成長し、目の不自由な方により住みよい環境を整えたい」と抱負を語る。
同協会は1971(昭和46)年に発足。視覚障害者から日常生活での相談を受け付けるほか、点訳・音訳ボランティア養成講座、点字図書の貸し出し、スポーツ大会開催など活動は幅広い。
自身は大阪の段ボール製造会社で働いていたが、国指定難病の網膜色素変性症のため43歳ごろ両目の視力を失った。その後、妻ケイ子さん(69)の出身地・西都市に近い高鍋町に移住してきた。
同町は無料バスで安心して外出できるなど行政サービスは手厚く、買い物を手伝うガイドヘルパーにも恵まれた。しかし、「市町村でサービスにばらつきがある」ことが分かり、「目が不自由なために相手に真意が伝わりにくい」といった悔しさも経験。このため「みな等しく生きる権利がある」と強く感じている。
1947(昭和22)年生まれの亥(い)年だからというわけではないが、ケイ子さんによると、性格は「典型的なB型のイノシシ」。深く悩んで決めたことには徹底的に突き進むという。
大の運動好き。視覚障害者ボウリング世界大会で3位に輝き、卓球やマラソンにも励む。メダルや賞状は数多いが、「妻がいなかったら何もできなかった」と周囲への感謝も忘れない。高知県出身、66歳。同町北高鍋で妻ケイ子さんと二人暮らし。(高鍋支局・竹之下理恵)