「みんな瓜生野が大好きなんです」。地元で育った若者たち約30人に胴上げされ、「ずっとこの瞬間を待っていた。最高の気分」と笑った。
宮崎市の瓜生野小児童だけでつくるソフトボールチーム「瓜生野ソフト」を指導して22年目。5年前に「教え子たちが集える場所をつくりたい」とOBだけのチームを結成し、「県内で一番大きな大会(宮日旗)で優勝することを目標に頑張ってきた」と振り返る。
根っからの野球好き。森薬品に勤務時代は「8番・二塁」で宮日早起き野球県大会優勝を経験したこともある。2年前に亡くなった妻なぎささんに「経験を子どもたちに伝えたら」と促され、33歳でソフトボールの指導者に転向。当時は打撃マシンを自費で購入、自宅敷地内に練習場を整備するなど、家族に「家のためにお金を使って」と懇願されるほど没頭した。
「散漫なプレーが一番嫌い」と、試合中は“鬼”に徹する。決勝はヒットエンドランのサインを見逃した選手を怒鳴り飛ばした。押川幸浩主将は「勝負に厳しいけど、本当は優しい。だからチーム全員が監督のために優勝したかった」。
選手たちは地域でも注目の存在で、宮日大会前は毎年必ず激励の電話がかかってくる。「ソフトボールが核になり、地域が元気になれば」と期待する。
大会前は「一番の理解者」だったなぎささんに線香を上げ、優勝を誓った。「天国で一番喜んでくれているはず」と照れくさそうに笑った。宮崎市の自宅に子ども2人と暮らす。病院事務職の55歳。
(運動部・上中園誠)