「窓」面のシリーズ自分史は29日付から、元県総合農業試験場畑作園芸支場長の轟篤(とどろき・あつし)さん(78)=宮崎市=の「ヒノヒカリ物語」を掲載します。
轟さんは1946(昭和21)年、南郷村(現美郷町南郷)生まれ。富島高、愛媛大農学部を卒業後、69(同44)年から県総合農業試験場に勤務。水稲品種改良、育成に携わり、全国に普及した品種「ヒノヒカリ」を中心となり誕生させました。
日中国交正常化10年後の82(同57)年12月から半年間、日中共同研究新品種育成事業に日本代表として参加。93年4月から県立農業大学校教授として若い農業者を指導しました。
99年には県農試生物工学部長、2005年県農試畑作園芸支場長に就任。安全なコメ供給や加工原料甘藷(かんしょ)の需要拡大などに取り組み、07年から14年まで県バイオテクノロジー種苗増殖センター所長を務めました。
これらの実績が評価され、轟さんを中心とする県農試生物工学部や県農試水稲育種グループなどが、宮崎日日新聞賞や日本育種学会賞をはじめ数多くの表彰を受けました。
連載では、ヒノヒカリがなぜ本県で育成されたのかなど誕生秘話、また研究者として取り組んだ「育種」への思いをつづります。
兒玉修さんの「学校と私の隙間から」は本日付で終了します。