【SNS特報班】節分 何まく?
2024年2月3日
2月3日、あなたは何をまきますか-。宮崎日日新聞「SNS特報班」など読者とつながる報道に取り組む全国10道県の地方紙は、節分に関する合同アンケートを実施した。地域による風習の違いや節分にまつわる家族との思い出など、さまざまなエピソードが寄せられた。
落花生62%、大豆49%
アンケートは、通信アプリLINE(ライン)などで呼びかけ、2389人が回答した。
節分は中国の風習を導入した宮廷行事が源流で、災厄をはらう儀式が鬼役を追い出す内容に変化したとされる。もともと「五穀」の一つでもあることなどから大豆をまくのが一般的だが、寄せられた回答では落花生が多数派。地域によって違いがあることが分かった。
「節分でまくもの」(複数回答)では落花生(62・2%)と大豆(49・3%)が双璧をなし、あめ(4・1%)、小豆(1・2%)の順だった。
岩手、宮城では7割超が「落花生のみ」と回答。北海道や長野、九州南部は5~6割だった。北関東では「大豆のみ」が目立ち、栃木では8割近く、群馬は6割以上に。北部九州の福岡でもほぼ半数を占めた。
本県は133人が回答。「落花生」が92・5%と最多で、「大豆」13・5%、「あめ」12・8%、「みかん」0・8%などだった。「落花生のみ」は65・4%で、あめやチョコ、駄菓子、小銭などを一緒にまくとの回答も目立った。
豆を緑茶に入れる「福茶」を飲む(群馬)など各地の風習にもさまざまな違いがあった。
節分文化に詳しい北海道博物館(札幌市)の学芸部長、池田貴夫さん(53)によると、落花生をまく主な都道府県や地域は、北海道▽東北▽新潟▽長野県北部▽熊本▽宮崎▽鹿児島。
池田さんは25年にわたり全国で聞き取りや古い新聞記事を基に調査。最も早く落花生がまかれたのは昭和20年代後半ごろの北海道や新潟という。
40年代には東北の新聞が落花生を「今はやり」と紹介。同時期には南九州の百貨店では節分時期の売り上げが大豆を上回ったと報じられており、地域の拡大がうかがえる。
ただ、なぜ利用が始まったのかは判然としない。アンケートでは「投げてもめったなことでは割れない」「拾い集めるのが楽」との意見が相次ぎ、片付けや衛生面の利点などもあるとみられる。
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熊本のキャンディー「ママー」 本県と鹿児島の一部 定番
宮崎、鹿児島両県の一部地域では節分の際、熊本市南区の「オークラ製菓」が手がけるソフトキャンディー「乳菓(にゅうか)ママー」をまく習慣がある。なぜ節分にキャンディーなのか。その理由を調べていくと思いがけない結末が待っていた。
「乳菓ママー」は1971年の創業時から看板商品で、1袋当たり120グラム(約22個)入り270円。全国のスーパーやインターネット通販で10月~2月限定で販売。濃厚なミルク味と、ねっとりした独特の食感で、「懐かしい」と年配者を中心に人気を博した。
同社の笠井康仁社長(53)によると、宮崎県などで節分でまく習慣が始まったのは、都城市に本社がある菓子問屋の提案が発端だったという。問屋の地元のほか、隣接の鹿児島県曽於市まで広がった。
「ただ今年の節分には、ママーは提供できない」と笠井社長は言う。約30年間、修理しながらママーを作り続けた機械が故障。別の製造ラインでの生産を試みたが、味をうまく再現できなかったという。同社は昨年2月、同じく創業時からの看板商品だった「田舎飴(あめ)」「いも飴」とともに生産を中止した。
現在も、全国から「どこにも売っていない」「またママーを食べたい」というファンの声が同社に寄せられている。笠井社長は「節分の“必需品”として親しまれ、ママーを愛してもらえてありがたい。いつかまた、復活させたい」と話している。
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「ママー」昨年生産中止 「季節感出ない」惜しむ都城市民
県内各地で節分の必需品として親しまれるソフトキャンディー「乳菓ママー」の生産が中止となり、初の節分を迎える。県民からは「ママーがないと節分が来た気がしない」と惜しむ声が上がり、別のあめを準備して節分に備えるスーパーもある。
都城市・エンゼルIT保育園管理者の原田佳菜子さん(41)は、幼い頃からママーに親しんできた。スーパーなどにママーが並ぶ光景はこの時期の風物詩。生産中止を知り、「クリスマスのチキンのようにママーを見て節分を感じていた。寂しい」と語る。
かつて同市であめの製造や卸売りをしていた「柳田食品」の2代目社長・柳田芳嗣さん(67)によると、半世紀以上前の昭和30年代頃、同社の豆まきでは、ママーの“前身”となる別の乳菓あめをまいていた。
住民にも好評で地域でも豆まきに使われるようになったが、生産が終了。代替の商品を熊本市の「オークラ製菓」に依頼して、ママーを卸すようになったという。「喜ぶ人が多かったからこそ少しずつ広まり、一つの文化になったんだろう」
長年ママーを扱っていた市内のスーパー「HEARTYながやま都北店」では毎年千個近くを販売し、昨年は節分関連の商品で販売個数はトップだった。スタッフは生産中止に衝撃を受けながらも、住民らのニーズに応えようと、別のミルク味のソフトキャンディーを用意した。
店長の戸高真吾さん(34)は「ママーがない節分はどうなるのだろうと思ったが、代替品の売れ行きもよく、あめをまく文化が浸透していると感じる。楽しい節分を過ごしてほしい」と話している。
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本県、落花生9割 「一緒にあめや小銭」
全国10道県の地方紙による節分に関する合同アンケートで、本県では9割以上が「落花生」をまくと回答した。落花生だけでなく、あめやチョコ、小銭などを一緒にまくとの回答も多かった。一方で大豆が主流の地域の出身者からは「文化の違いに驚いた」との反応が寄せられた。
アンケートには家族や地域での豆まきの思い出が多く届いた。西都市の自営業男性(69)は「歳の数ほど落花生を食べる。歳をとるときついので、ほどほどにしている」と回答。三股町のパート男性(68)は「昔はお店の前でもまいていた。押し合いながら拾った」と懐かしむ。紙に包んで小銭をまく地域のほか「ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して玄関に飾る」との回答も複数あった。
部屋の電気を消して豆まきをした思い出をつづる人も。宮崎市の会社員女性(49)は「真っ暗闇で鬼の面をつけた父親が全力でミカンを投げてくる」、延岡市の主婦の女性(41)は「電気をつけると踏まれた落花生の残骸。豆や菓子を食べる子を尻目に一生懸命、掃除機をかける母の姿があった」と振り返った。
落花生の生産で国内トップの千葉県出身で、現在は木城町に住んでいる女性(48)は「落花生をまくなんて恐れ多くてできない」と回答。千葉県は大豆をまくのが主流で、女性もいった大豆をまいていたという。「千葉県民にとって落花生は地域を支える神聖なもの。豆まきに使うのは想像できず、落花生をまくと聞いて震えた」と驚いていた。
落花生62%、大豆49%
アンケートは、通信アプリLINE(ライン)などで呼びかけ、2389人が回答した。
節分は中国の風習を導入した宮廷行事が源流で、災厄をはらう儀式が鬼役を追い出す内容に変化したとされる。もともと「五穀」の一つでもあることなどから大豆をまくのが一般的だが、寄せられた回答では落花生が多数派。地域によって違いがあることが分かった。
「節分でまくもの」(複数回答)では落花生(62・2%)と大豆(49・3%)が双璧をなし、あめ(4・1%)、小豆(1・2%)の順だった。
岩手、宮城では7割超が「落花生のみ」と回答。北海道や長野、九州南部は5~6割だった。北関東では「大豆のみ」が目立ち、栃木では8割近く、群馬は6割以上に。北部九州の福岡でもほぼ半数を占めた。
本県は133人が回答。「落花生」が92・5%と最多で、「大豆」13・5%、「あめ」12・8%、「みかん」0・8%などだった。「落花生のみ」は65・4%で、あめやチョコ、駄菓子、小銭などを一緒にまくとの回答も目立った。
豆を緑茶に入れる「福茶」を飲む(群馬)など各地の風習にもさまざまな違いがあった。
節分文化に詳しい北海道博物館(札幌市)の学芸部長、池田貴夫さん(53)によると、落花生をまく主な都道府県や地域は、北海道▽東北▽新潟▽長野県北部▽熊本▽宮崎▽鹿児島。
池田さんは25年にわたり全国で聞き取りや古い新聞記事を基に調査。最も早く落花生がまかれたのは昭和20年代後半ごろの北海道や新潟という。
40年代には東北の新聞が落花生を「今はやり」と紹介。同時期には南九州の百貨店では節分時期の売り上げが大豆を上回ったと報じられており、地域の拡大がうかがえる。
ただ、なぜ利用が始まったのかは判然としない。アンケートでは「投げてもめったなことでは割れない」「拾い集めるのが楽」との意見が相次ぎ、片付けや衛生面の利点などもあるとみられる。
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熊本のキャンディー「ママー」 本県と鹿児島の一部 定番
宮崎、鹿児島両県の一部地域では節分の際、熊本市南区の「オークラ製菓」が手がけるソフトキャンディー「乳菓(にゅうか)ママー」をまく習慣がある。なぜ節分にキャンディーなのか。その理由を調べていくと思いがけない結末が待っていた。
「乳菓ママー」は1971年の創業時から看板商品で、1袋当たり120グラム(約22個)入り270円。全国のスーパーやインターネット通販で10月~2月限定で販売。濃厚なミルク味と、ねっとりした独特の食感で、「懐かしい」と年配者を中心に人気を博した。
同社の笠井康仁社長(53)によると、宮崎県などで節分でまく習慣が始まったのは、都城市に本社がある菓子問屋の提案が発端だったという。問屋の地元のほか、隣接の鹿児島県曽於市まで広がった。
「ただ今年の節分には、ママーは提供できない」と笠井社長は言う。約30年間、修理しながらママーを作り続けた機械が故障。別の製造ラインでの生産を試みたが、味をうまく再現できなかったという。同社は昨年2月、同じく創業時からの看板商品だった「田舎飴(あめ)」「いも飴」とともに生産を中止した。
現在も、全国から「どこにも売っていない」「またママーを食べたい」というファンの声が同社に寄せられている。笠井社長は「節分の“必需品”として親しまれ、ママーを愛してもらえてありがたい。いつかまた、復活させたい」と話している。
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「ママー」昨年生産中止 「季節感出ない」惜しむ都城市民
県内各地で節分の必需品として親しまれるソフトキャンディー「乳菓ママー」の生産が中止となり、初の節分を迎える。県民からは「ママーがないと節分が来た気がしない」と惜しむ声が上がり、別のあめを準備して節分に備えるスーパーもある。
都城市・エンゼルIT保育園管理者の原田佳菜子さん(41)は、幼い頃からママーに親しんできた。スーパーなどにママーが並ぶ光景はこの時期の風物詩。生産中止を知り、「クリスマスのチキンのようにママーを見て節分を感じていた。寂しい」と語る。
かつて同市であめの製造や卸売りをしていた「柳田食品」の2代目社長・柳田芳嗣さん(67)によると、半世紀以上前の昭和30年代頃、同社の豆まきでは、ママーの“前身”となる別の乳菓あめをまいていた。
住民にも好評で地域でも豆まきに使われるようになったが、生産が終了。代替の商品を熊本市の「オークラ製菓」に依頼して、ママーを卸すようになったという。「喜ぶ人が多かったからこそ少しずつ広まり、一つの文化になったんだろう」
長年ママーを扱っていた市内のスーパー「HEARTYながやま都北店」では毎年千個近くを販売し、昨年は節分関連の商品で販売個数はトップだった。スタッフは生産中止に衝撃を受けながらも、住民らのニーズに応えようと、別のミルク味のソフトキャンディーを用意した。
店長の戸高真吾さん(34)は「ママーがない節分はどうなるのだろうと思ったが、代替品の売れ行きもよく、あめをまく文化が浸透していると感じる。楽しい節分を過ごしてほしい」と話している。
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本県、落花生9割 「一緒にあめや小銭」
全国10道県の地方紙による節分に関する合同アンケートで、本県では9割以上が「落花生」をまくと回答した。落花生だけでなく、あめやチョコ、小銭などを一緒にまくとの回答も多かった。一方で大豆が主流の地域の出身者からは「文化の違いに驚いた」との反応が寄せられた。
アンケートには家族や地域での豆まきの思い出が多く届いた。西都市の自営業男性(69)は「歳の数ほど落花生を食べる。歳をとるときついので、ほどほどにしている」と回答。三股町のパート男性(68)は「昔はお店の前でもまいていた。押し合いながら拾った」と懐かしむ。紙に包んで小銭をまく地域のほか「ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して玄関に飾る」との回答も複数あった。
部屋の電気を消して豆まきをした思い出をつづる人も。宮崎市の会社員女性(49)は「真っ暗闇で鬼の面をつけた父親が全力でミカンを投げてくる」、延岡市の主婦の女性(41)は「電気をつけると踏まれた落花生の残骸。豆や菓子を食べる子を尻目に一生懸命、掃除機をかける母の姿があった」と振り返った。
落花生の生産で国内トップの千葉県出身で、現在は木城町に住んでいる女性(48)は「落花生をまくなんて恐れ多くてできない」と回答。千葉県は大豆をまくのが主流で、女性もいった大豆をまいていたという。「千葉県民にとって落花生は地域を支える神聖なもの。豆まきに使うのは想像できず、落花生をまくと聞いて震えた」と驚いていた。