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関門トンネル80年

2022年12月2日
 子供の頃、初めて国鉄の寝台列車で本県から大阪に向かった時、楽しみだったのが関門トンネル(鉄道)だった。海峡の下を列車がくぐる―。どんな気持ちだろう。ところが大分駅に着く前には寝入ってた。

 夢をかなえたのは高校の修学旅行の時だ。この関門トンネルが開通して今年で80年になる。国鉄(現JR)山陽本線の下関―門司駅間で、開通したのは太平洋戦争が始まって半年ほどたった1942年6月。まず貨物に利用されて、11月からは旅客列車も走った。

 戦争中は船舶が不足したため、九州と本州の連絡に重要な役割を果たした。米軍は空襲による破壊を計画したが、実行されずに終戦。本県から京都に直通する準急行の運転が開始したのは49年だ。しかし53年6月の大雨では浸水被害に遭い、約半月閉鎖したこともあった。

 当初は都城を12時10分に出て京都着12時22分。ほぼ丸1日かけての汽車の旅だ。空の便が一般的になるまでは本州へ渡る最短ルートとして、本県の発展に寄与したトンネルだ。一方で高度成長時代には”金の卵”を満載した集団就職列車が都会へ向かった。どんな思いで関門海峡を越えたことだろう。

 その後海峡には国道、新幹線用のトンネルが掘られ橋も架かった。鉄道は衰退し特急「富士」も「彗星」も懐かしい思い出だ。新たな道路橋を架ける計画も始動している。もはや九州は島ではない。と言いつつも、交通基盤が劣る東九州の現実も考えてしまう。

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