相対的な生命尊重論
2023年3月2日
一人の生命は全地球よりも重い―。戦後間もない1948年の最高裁判決の中に出てくるこの有名な一節を「これほど空虚な文章はない」と喝破したのは、先日亡くなった作家で精神科医の加賀乙彦さんだ。
40年以上も前のエッセーに書いている。「空虚」と言い切った理由は、この言葉が「死刑制度は合憲である」という判決文の中のものだからだ。数多くの死刑囚と接し、死刑制度に反対していた加賀さんは、この最高裁判決を「相対的な生命尊重論」だと断じた。
そもそもその重さ、価値の比較などできない命である。だが、失われた命をお金に”換算”しようとすると悩ましい事態が生じる。ショベルカーの暴走による事故で亡くなった聴覚に障害のある11歳女児。その遺族が運転手側に損害賠償を求めた訴訟がまさにそれだろう。
女児が将来得られたはずの収入、いわゆる「逸失利益」の算出基準について、遺族側は「全労働者の賃金平均」を求めたが、大阪地裁はその85%と判断した。運転手側は女児の障害を理由に6割を主張したが、地裁はテクノロジーの発達などにより「将来さまざまな就労の可能性があった」とした。
いくら逸失利益が「命の重さ」ではないといっても、両親にとっては納得できるものではないだろう。「障害によって差を付けられた」ことが問題なのだ。今回の地裁判決をどう評価するかはさまざまだろうが、両親の気持ちを思うとただただやりきれない。
40年以上も前のエッセーに書いている。「空虚」と言い切った理由は、この言葉が「死刑制度は合憲である」という判決文の中のものだからだ。数多くの死刑囚と接し、死刑制度に反対していた加賀さんは、この最高裁判決を「相対的な生命尊重論」だと断じた。
そもそもその重さ、価値の比較などできない命である。だが、失われた命をお金に”換算”しようとすると悩ましい事態が生じる。ショベルカーの暴走による事故で亡くなった聴覚に障害のある11歳女児。その遺族が運転手側に損害賠償を求めた訴訟がまさにそれだろう。
女児が将来得られたはずの収入、いわゆる「逸失利益」の算出基準について、遺族側は「全労働者の賃金平均」を求めたが、大阪地裁はその85%と判断した。運転手側は女児の障害を理由に6割を主張したが、地裁はテクノロジーの発達などにより「将来さまざまな就労の可能性があった」とした。
いくら逸失利益が「命の重さ」ではないといっても、両親にとっては納得できるものではないだろう。「障害によって差を付けられた」ことが問題なのだ。今回の地裁判決をどう評価するかはさまざまだろうが、両親の気持ちを思うとただただやりきれない。