八十八夜
2023年5月2日
「白磁の茶碗の半を満たしてゆらめく青湖の水。さなりき(当然だ)、誘うニンフも誘わるる男妖精も共に髪ぞ青かりし 揺曳(ようえい)(ゆらゆらと揺れる)とした湯気の隙間から、茶碗の岸にそういう美麗が…」
何とも詩的である。一体、何のことかと思いきや「新茶」を表現したものと聞けば、やや大仰な印象を持ちつつも、分からないでもないといったところだろう。書いたのは、かの芸術家・岡本太郎の母にして大正、昭和期の小説家、歌人である岡本かの子である。
その名もずばり「新茶」という随筆だ。その冒頭で「それほど茶好きでなくとも新茶には心ひかれる」とある。文中「年寄りじみたきつい苦み」と書いていることから、かの子自身も茶は好きでなかったのか。だが、こと新茶に関しては、手放しで大絶賛といった感じだ。
きょう八十八夜にして「新茶の日」。おとといデパ地下に行くと、新茶の試飲コーナーが。店員さんにいれてもらい、まずは鼻で”味わう”。馥郁(ふくいく)たる香り。口に含むとさわやかな苦みの中にほんのりとした甘み…と、かの子に感化されたかのような表現になってしまったが、決して誇張ではない。
「天地爽麗の季に乗じて、新茶一碗の服涼は忙中僅(わず)かに許さるべき自然の贈りもの」と、かの子の“新茶礼賛”は続く。間もなく縁起物とされる「八十八夜摘み」の茶も店に並ぶことだろう。かの子のみならず、普段の嗜好(しこう)に関係なく茶に心惹(ひ)かれる季節だ。
何とも詩的である。一体、何のことかと思いきや「新茶」を表現したものと聞けば、やや大仰な印象を持ちつつも、分からないでもないといったところだろう。書いたのは、かの芸術家・岡本太郎の母にして大正、昭和期の小説家、歌人である岡本かの子である。
その名もずばり「新茶」という随筆だ。その冒頭で「それほど茶好きでなくとも新茶には心ひかれる」とある。文中「年寄りじみたきつい苦み」と書いていることから、かの子自身も茶は好きでなかったのか。だが、こと新茶に関しては、手放しで大絶賛といった感じだ。
きょう八十八夜にして「新茶の日」。おとといデパ地下に行くと、新茶の試飲コーナーが。店員さんにいれてもらい、まずは鼻で”味わう”。馥郁(ふくいく)たる香り。口に含むとさわやかな苦みの中にほんのりとした甘み…と、かの子に感化されたかのような表現になってしまったが、決して誇張ではない。
「天地爽麗の季に乗じて、新茶一碗の服涼は忙中僅(わず)かに許さるべき自然の贈りもの」と、かの子の“新茶礼賛”は続く。間もなく縁起物とされる「八十八夜摘み」の茶も店に並ぶことだろう。かの子のみならず、普段の嗜好(しこう)に関係なく茶に心惹(ひ)かれる季節だ。